大変忌まわしい新型コロナウイルスですが、このことは深く記憶にとどめておくべきだと思い、イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノが今年2月末から3月頭に書いた「コロナの時代の僕ら」というエッセイを読みました。
日々のコロナに関する報道では、なかなか外国の空気まで感じ取ることは難しいけれども、このエッセイにはイタリアがたどった時間がリアルに描かれていて、とても興味深かったです。理数系の筆者はとても冷静に物事を分析し、イタリアのみならず世界規模でこの問題を考察しており、陽気といわれるイタリア人の別の面を見ているようでした。考えてみればレオナルド・ダ・ヴィンチのメモなんかを見ても陽気な性格はなかなか想像出来ないことを鑑みると、実はこちらの面が彼らの本質で、「イタリア人は陽気だ」というのは安易な発想なのかもしれないなと思いました。
さて、このエッセイには共感出来る点が多かったのですが、特に共感した点が二つあって、まずは私も思っていたことですが、筆者が新型コロナウイルスに対して「戦争」という言葉を使うことに疑問を感じているところです。
コロナウイルスは憎い存在であることは間違いないけど、単に宿主を求めている、多分意思も無い生き物に過ぎないわけで、人間が一方的に「戦い」と言っているだけです。
本当の戦争は比べものにならないほど悲惨なものだと、戦争を経験した人たちは皆そう言うでしょう。太平洋戦争の時、東京大空襲では一夜にして10万人以上、終戦までの4年弱で300万人以上の人が亡くなっています。
もう一つは、この状況下、無駄に過ごさない、有意義に過ごそうといったメッセージに強く共感しました。
今回の事象はどう転んでもネガティブなことだけれども、私も努めてポジティブに物を運びたいと意識しているし、実際、「ピンチをチャンスに!」と考えている人も多くて、2020年は厳しいけれども、誰もが人間的に成長する年になるのではないか?と結構真面目に思っています。
(本文とは関係ありませんが、1月の雑記で触れた遠藤周作の未発表作品が発見されたそうだ。すごい気になる。)