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6/30/2021

水無月 6月

梅雨時なのになぜか水の無い月、水無月。雨が長かった昨年に比べると今年の梅雨は過ごしやすかったように思います。そんな梅雨の合間に、以前から気になっていた古墳を見に行ってきました。


意外と知られていないかもしれませんが、埼玉県にもいくつか古墳があって、なかでも行田市の埼玉(さきたま)古墳群は国の特別史跡になっています。その構成は前方後円墳8基、大型円墳1基、いくつかの小円墳跡でなかなかのスケール感。作られたのは5世紀後半から7世紀中頃で、その間には仏教伝来(538)、聖徳太子が摂政に(593)、遣隋使が送られる(607)などの出来事がありました。
ここでは埼玉古墳群の発掘状況だけに焦点を当ててまとめてみました。

1 稲荷山古墳(5世紀後半) 剣や副葬品が出土、多くが国宝に指定
2 丸墓山古墳(6世紀初頭) 埋葬施設など詳細は分かっていない
3 二子山古墳(6世紀前半) 埋葬施設は未調査
4 瓦塚古墳(6世紀前半) 埋葬施設は未調査
5 奥の山古墳(6世紀前半) 埋葬施設を地中レーダー探査、2基の箱形石棺?
6 愛宕山古墳(6世紀中頃) 埋葬施設は未調査
7 将軍山古墳(6世紀中頃) 1894年(明治27) 地元住民によって発掘
8 鉄砲山古墳(6世紀後半) 石室が盗掘を受けている可能性
9 中の山古墳(6世紀末~7世紀初頭) 埋葬施設は未調査

こうして見るとまだ未調査の部分が多く、もしかするとこれから大発見の可能性もあるのではないかと思うとワクワクしてしまいます。しかしお墓であるということなど様々な事情があるでしょうから、発掘はしてほしいけどそれは申し訳ないような複雑な気持ちがあります。

あと興味深いのはこれらの古墳がその後たどった歴史。例えば1590年、秀吉の関東平定の際、石田三成は忍城水攻めの計画を高さが17.2メートルもある丸墓山古墳の上で練ったかもしれないと言われていて、忍城含め辺りが一望出来るその地理的条件や、古墳からも実際に水攻めの堤が延びていることから私もその可能性はかなり高いのではないかと思いました。
また、鉄砲山古墳は幕末に忍藩の砲術訓練所として利用されていたそうです。罰当たりな感じもしますが(そもそも古墳といった認識はあったのでしょうか?)、きっと的にしやすいなど訓練に都合の良い場所だったのでしょう。ちなみに鉄砲山の名前の由来もここから来ています。

いろいろな想像を掻き立ててくれる埼玉古墳群、散歩するだけでもおすすめの場所です。
(写真は古墳群で一番大きい二子山古墳)